大歩向前走(前を向いて大きく歩こう)—台湾『全景』の試み
「台湾フルショット」特集内特集として、YIDFF2005の「大歩向前走(前を向いて大きく歩こう)——台湾『全景』の試み」から4本『天下第一の家』『梅の実の味わい』『部落の声』『三叉坑』上映します。

6本の作品が映し出す台湾大震災復興の物語 大歩向前走─台湾「全景」の試み

YIDFF 2003で優秀賞を獲得した『生命(いのち)──希望の贈り物』。そこでは語りきれない物語があった。台湾のインディペンデント・シーンを牽引してきたとも言える映像製作集団、全景。彼らは全部で7本という壮大なシリーズ製作にグループ全体で取り組んでいたのだった。
1999年9月21日に起きた台湾大震災。全景メンバーは地震発生直後から復興活動を手伝いながら作品製作をスタートさせた。作家が自らの視座、独特の手法によって作り上げた作品はいずれも、台湾大震災以降の台湾社会を映したにもかかわらず、それぞれ固有の色彩を放ち、またひとつのコミュニティ、ひとりの人間にとって語り尽くせない物語があったことを示唆している。
「大歩向前走」と題して製作されたこのシリーズ。震災後5年を迎えた2004年に、一部は仮編集の段階だったが、被災地での上映を行なった。今回は審査員作品として上映される『生命(いのち)』(p30)も含めた完成版6本の上映となる。全長10時間近くになるだろう李雅芬(リー・ヤーフン)監督の『再見長寮尾』は完成が間に合わず、残念ながら今回は上映できない。
YIDFF 99の特集プログラムでは、すでに被災地入りをしていたメンバーも集まり、「必ず作品を仕上げ戻ってくる」と語ったメンバーたち。約束は果たされるべく、全景は大震災後の台湾社会を撮り続け6作品を完成させた。それに応ずるためにも、メンバーを迎え上映し、全景が意図した試みを検証していきたい。

コーディネーター:吉井孝史 通訳・アシスタント:遠藤央子
協力:台湾大震災記録映画の日本上映を支援する会、早稲田大学台湾研究所

全景からのメッセージ

われわれはみな同じシーンのなかにいる。
全景映像工作室は1988年に何人かの志を共にする友人たちによって設立されたドキュメンタリー映画を志すグループである。数年の活動を経て、人材育成や普及の重要性について考えるようになったため、1996年に基金会として組織変更を行い、ドキュメンタリー映画の創作、人材育成、広報宣伝という3つの仕事を基金会の目標にした。
1999年9月28日、台湾に9.21地震が発生してから7日目、全景の12人のスタッフは台北の事務所で緊急会議を開いた。ある者は被災地から戻ったばかりで、ある者は毎日テレビを見守りつつニュース画面を資料として録画する責任を果たしていた。誰の顔も厳粛で、ひとつのことを討論していた。「今日決定するのは、全景が被災地に入って仕事をするか否かということだ」、「この件は非常に重大で、全景の未来にも影響を及ぼすだろう。必ず全員の同意が必要だ」、「被災地の現状は大変混乱している。もし入っていくなら、われわれにできることは何かを明確にしなければならない」……。
「われわれはぜひとも被災地の記録を残すべきだ、それも長期にわたる記録だ」。ひとりのスタッフが突然、主張した。「これほど大きな災害である以上、将来の復旧過程においても必ず多くの問題が出てくるだろう。これは台湾にとって非常に重要な集団的経験となるに違いない。この数日の混乱した状況を見れば、政府には記録を残すことに心を砕く余裕などないことは理解できる。10年も一緒に仕事をしてきた全景は、グループとしての力を発揮できるのではないか、と私は思う。もし全景が行かないとするならば、私は全景を辞めて被災地に入ってドキュメンタリー映画を撮影するつもりだ、これはもうすでによく考えたことだ」。
数秒間、空気が凝結したようになり、全員が沈黙していた。皆の心のうちにあった気持ちはすでにひとりによって語られていた。われわれはドキュメンタリー映画を撮るために集まった仲間であり、その年齢は20代から40代まで、かつて幾多の困難を共に経験してきたが、これほど大規模な災害は経験したことがなかった。8万4000軒の家屋が倒壊・破損し、数十万の人が家を失い、台湾の3分の1の広さにあたる農村地区が甚大な被害に見舞われた。台湾の美を象徴する中部の横貫道路も大地震の瞬間に谷底へすべり落ち、台湾の地図の上から消えてしまった。これほどの大事件は、いったい台湾人に向かってなにを言おうとしているのか?復興の道はどれほど長く、被災民の生活はどのような出来事に出会うのか?なぜかはわからないが、われわれ一人ひとりの心のうちで、「この事件を記録することは重要だ」という思いを共有しているのを感じた。そして誰もが、この日この時、台湾と深く深く結びついているのを感じた。
これ以外の結論はほとんどありえなかった。その日の夜、すべてのスタッフが家に戻って家族に説明をし、撮影機材、パソコン、通信機器などの整理をはじめ、ボランティアをしてくれる友人に連絡をとった。3日後、全景は南下して被災地に入り、フィールド調査を進め、手を携えていつ終るかわからない生命の旅を始めた。
いまや、あれから6年の時間が過ぎた。だが、全景が地震を記録する仕事はいまだに終っていない。このたびの山形国際ドキュメンタリー映画祭での上映にあたり、日本の友人たちのご厚情ご協力に感謝したい。われわれは完成した作品を皆さんと一緒に分かち合いたいと思う。

全景伝播基金会


全景

1988年、インディペンデントのドキュメンタリー製作集団として「全景映像工作室」を設立。1949年から1987年まで戒厳令の敷かれた台湾でのドキュメンタリー製作は社会に認知されない閉ざされた状況に置かれていた。その後の民主化の波にもまれ急激な変化を遂げるなか、「全景」は台湾ドキュメンタリー史を築く重要な役割を担い、またそれは彼らが公共メディア運動を興していったことと軌を一にしている。製作したテレビドキュメンタリーシリーズ『人間灯火』(1990)は台湾テレビドキュメンタリー史上の名作のひとつと名指され、放映後、自分でも撮りたいという若い人たちの要望を受けたのをきっかけに、1991年から移動型映画ワークショップ「地方記録撮影工作者訓練計画」を全景で実施。映画製作の垣根をはずすべく台湾全土あらゆる団体にコンタクトをとりながら活動。ソーシャル・ワーカーや聴覚障害者、環境保護活動家、先住民など、様々なバックグラウンドの人々が学び、作品を発表していった。ワークショップは台北、花蓮、台中、高雄、それぞれに半年かけてまわった。1996年に名称を「全景伝播基金会」に変更、参加メンバーに作品製作の支援と資金調達を提供している。
YIDFF ユ99では「全景」と映画監督・原一男率いる「CINEMA塾」が山形に集まり、スペシャル・プログラム「事例討議:全景(台湾)&『CINEMA塾』(日本) 映画運動の試み」が企画され、そこで各製作集団の作品上映と “共同体の映画・映画の共同体” “民衆のドキュメンタリー運動” などのテーマで討論や交流会が行われた。

製作会社、提供:全景伝播基金会

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主催◎シネマトリックス
共催◎山形国際ドキュメンタリー映画祭実行委員会、アテネ・フランセ文化センター、映画美学校、ポレポレ東中野
協力◎東京国立近代美術館フィルムセンター、大阪府立女性総合センター(ドーンセンター)、東北芸術工科大学東北文化研究センター

フィルム提供:
アテネ・フランセ文化センター、アリイケシンジゲート+大きい木、岩波映像、映画「戦後在日五○年史」製作委員会、川口肇、共同映画社、シグロ、疾走プロダクション、自由工房、白石洋子、鈴木志郎康、瀬戸口未来、高嶺剛、W-TV OFFICE、陳凱欣、朝鮮総聯映画製作所、全州国際映画祭、テレビマンユニオン、直井里予、日本映画新社、朴壽南、ビデオアートセンター東京、プラネット映画資料図書館、北星、松川八洲雄、松本俊夫、もう一度福祉を考え直す会・磯田充子、ヤェール・パリッシュ、山形ドキュメンタリーフィルムライブラリー