全景 全員集合!

山形映画祭2005レポート
全景 全員集合!

2005年の山形映画祭『部落の声』上映後に全景メンバー全員が集合し、メンバー紹介後、蔡静如(ツァイ・ジンルー)さんより、スライド・ショーを交えた「大歩向前走(前を向いて大きく歩こう)」シリーズについてのレクチャーがありました。
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通訳:吉井孝史

 簡単に全景について説明したいと思います。いろんなドキュメンタリーを撮る人がいると思いますが、みんなが団結してこういうことを撮っていることが全景の特徴だと思います。

 全景の設立は1988年になります。それかずっとここまでやってきました。自分たちが作品を作り発表していく以外にもうひとつ重要なのはドキュメンタリーを普及させるために“教える”ことをしてきたことです。人数としては十数人ですが、創設当初のメンバーから、いちばん新しいメンバー参加からも5年経っています。若いメンバーが集まり最初の段階から、ドキュメンタリーということと、普段紹介されることの少ない人たちに密着して取り上げて世の中に伝えようということでずっと動いてきています。世の中に伝える方法としてはたとえば学校とかいろんな場所に行って上映会をしたり、そういうことをしています。全景ではドキュメンタリーを社会教育のひとつと捉えているのです。

 このシリーズについてお話ししたいと思います。1999年の9月21日に大地震が発生しました。全景として考えたのは「私たちは何ができるか」ということです。それは今まで記録を撮り続けた人間として、この記録を撮って残すことは全景の使命ではないかということでした。それで被災地の撮影が始まりました。

 全景の12人のメンバーは2、3人ずつ、サポートしてくれる人たちも入れて7グループに分かれ、グループそれぞれが自分たちの撮るべきテーマを探しました。南投県と台中県がもっとも被害の大きな場所でした。今回、山形映画祭では6作品を上映します。7作品目はまだ完成していません。全景は台北に事務所を構えています。このシリーズ製作にあたって台中に拠点を構えて、そこから取材に向かいました。だいたいふたり一組になって車で現地に入り、朝から晩まで被災地に密着し撮影を続けました。

 取材の対象が違うので、それぞれの作品の完成時期も違いました。2004年9月になって『生命(いのち)』『梅の実の味わい』『部落の声』『天下第一の家』の4作品が完成して、上映活動に入りました。当初は1年くらいで完成させるつもりだったので、そのくらいの資金しか用意しませんでした。しかし、実際は4年から6年かかったので、ひじょうに切羽詰まった時点での上映です。ここで失敗すると全景を解散しなくてはならないという状態でした。ドキュメンタリーを劇場で上映するというのはあまりないですし、そもそも台湾映画は儲からないと言われている状況です。それでも劇場を借りて上映会に臨んだのですが、びっくりしたのは実際ふたをあけたら、これほどの盛況だったわけです。(写真) 35ミリフィルムをかける用に作られた劇場が主なので、自分たちの作っているビデオが上映できる環境を整えての上映となりました。最初はひとつの劇場しか借りられずに上映していたら、あっという間に人があふれる状態になったので、他の映画館が興味を示しそこでの上映も始めました。5周年にあわせた2004年9月の封切りから、台湾全土7都市10館で上映されることになりました。劇場上映以外にもうひとつやったことは、被災地での上映です。これは被災地付近の南投県の劇場で上映しました。上映したときは4作品しか完成していなかったので、残りの3作品は未完成の初期版での上映でした。この時は700人から800人の方が見に来てくれました。

 921の記憶は台湾全土に響いています。ですから、反響は大きく、上映となるとみんなが押し掛けてくれました。中華電信がまず約300万円寄付してくれ、SONYがプロジェクターを2台提供してくれました。それで、全国巡回上映が可能になったのです。企業だけではなく、一般の方々も手紙を書いて、いろんな方に薦めたりしてくれました。そういったことや口コミなどがこの上映の盛り上がりにつながったのだと思います。もうひとつはウェブサイトを運営する会社の社長さんの意見でウェブ展開、メールやブログでの呼びかけも大きな反響への大きな要因だと思います。また聴覚障害者の方や言語障害の方にも、無料ですが、見ていただこうということで上映会をしました。9月10月には撮影地にも持って行き、直接そこの住人の方々にも見てもらいました。『部落の声』はできませんでしたが。被災民の方の多くは山間部に住んでいるので、なかなか都市にでてきて映画を見ることができません。しかし、この時の反応を見て、ある企業の方から、資金を出すのでもっとこまめに被災地での上映をしてほしいと言われました。学校や役場のホールや野外でなど、提供してもらったプロジェクターをもってふたりのチームでいろんなところで上映会をしにいきました。被災地でやった上映会は無料です。こういった一連の動きで、台湾の老若男女が見ることになったのです。それが2005年の1月くらいまで続きました。その後は主に学校での上映会が行われました。

 『三叉坑』が完成したのは今年の夏です。これが完成してからは、この作品1本だけ持って、小さな劇場を回りました。必ず監督も行き、交流しながら上映をしました。そして『中寮での出会い』は山形から帰ったらこのような上映会をしていきたいと思います。ですから『中寮での出会い』は山形が初めての上映となります。

司会 最後に、シリーズのなかで今回上映できない1本『再見長寮尾』の監督からメッセージをもらっているので、簡単に紹介したいと思います。「いまも、編集中なので完成した作品を見せることができなくて残念です。ぜひ、次の機会を見つけて、上映をさせていただければと思っています。日本のみなさんの協力に感謝しています」ということでした。

(2005年10月9日 山形市内映画館ミューズ2にて)

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主催◎シネマトリックス
共催◎山形国際ドキュメンタリー映画祭実行委員会、アテネ・フランセ文化センター、映画美学校、ポレポレ東中野
協力◎東京国立近代美術館フィルムセンター、大阪府立女性総合センター(ドーンセンター)、東北芸術工科大学東北文化研究センター

フィルム提供:
アテネ・フランセ文化センター、アリイケシンジゲート+大きい木、岩波映像、映画「戦後在日五○年史」製作委員会、川口肇、共同映画社、シグロ、疾走プロダクション、自由工房、白石洋子、鈴木志郎康、瀬戸口未来、高嶺剛、W-TV OFFICE、陳凱欣、朝鮮総聯映画製作所、全州国際映画祭、テレビマンユニオン、直井里予、日本映画新社、朴壽南、ビデオアートセンター東京、プラネット映画資料図書館、北星、松川八洲雄、松本俊夫、もう一度福祉を考え直す会・磯田充子、ヤェール・パリッシュ、山形ドキュメンタリーフィルムライブラリー