『三叉坑』陳亮丰監督 質疑応答

山形映画祭2005レポート
『三叉坑』
陳亮丰(チェン・リャンフォン)監督 質疑応答
※DDSでの『三叉坑』の上映は9月26日(火)19:00からございます。
上映後には全景との交流深く、2005年の山形映画祭でこのシリーズ上映のコーディネーターを務めていただいた吉井孝史さんを迎えトークを行う予定です。こちらも貴重な機会ですので、ぜひ聞きにいらしてください。

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英題:Three Fork Village 原題:三叉坑
台湾/2005/北京語、タイヤル語/カラー/ビデオ/144分

司会:吉井孝史  通訳:遠藤央子

観客ⅰ よくここまで撮ることができたと、すばらしい作品でした。質問ですが、農民が貧乏になってしまう背景には、農地を安く売ってしまう状況がどこの世界でも共通してあると思うんです。せっぱつまった事情があるんでしょうけれども、売らずに頑張った方と売ってしまった方。その差があるのであれば教えてもらえたらと思います。

観客ⅱ 『部落の音』を先に見ましたので、つながりがあり興味深く見させていただきました。復興がひとつではなく、あっちでもこっちでもいろんなかたちで進行している重層的な様子が分かって大変面白かったです。内容ではなく、全景に関する質問です。『梅の実の味わい』やこの作品は女性監督の作品ですよね。女性監督がこういうハードなプロジェクトに参加していてやっていらっしゃるのは、なかなか大変だと思うのですが、女性たちが活躍できる条件などあれば教えていただければと思います。

観客ⅲ 力作おつかれさまでした。すばらしい作品だと思います。最後どのようになってしまうのかと思って見ていたら、部族の家を建てるということにいく。そこに至るところが少しとんでしまったのですが、どういう経緯であそこにたどり着いたかもう少し見てみたいなと思いました。その部族の文化にもしかするともうすこし共同作業だったり山の上で生きていく知恵というのが実はあったのかなと思いました。
   僕もフィリピンでそういった仕事をしているのですが、残念ながら部族の文化というのはもうなくなってしまったのかなと思いながら見ていて。日本はもうとっくになくなっていて、台風が来ても業者に頼むしか家を建てられないという状態になっていますけど。どういった経緯で小屋を建てることになったかをお聞かせいただければと思います。

陳亮丰 ひとつめです。先住民のなかでもある人たちは土地を売ってしまうけれども、このなかに出て来た林銀明(リン・インミン)、彼のように土地を売らずに頑張ろうとする人たちについて。先住民の生計は漢民族に比べて非常に苦しいものです。土地を売るのはやむを得ないことなのです。家族のなかで病気の人が出たら、仕方がなく売るという状況なのです。その他、ここ数年の傾向としていわゆる漢民族に憧れて土地を売ってしまうケースがあります。土地を売って容易にお金を手に入れようとするわけです。この作品のなかででてくる林建治(リン・チェンチ)、彼はこういう状況を見てきました。自分が幼い頃に慣れ親しんだ土地が漢族によって買い上げられ、そこには美しい別荘が建てられ、囲いがされているわけですから、自分の思い出の土地には入って行くことができません。そのことが彼の心の中での悲しいことになっていったのです。

 銀明や建治は都市での生活の経験者です。進学や仕事で都市に出て行って都市での生活の厳しさということを知っています。ここ数年は台湾の経済はよくありません。先住民が都市で仕事を見つけるのはひじょうに困難です。都市で挫折を味わった後に、自分の場所である故郷に帰ってきて時に感じることが土地の大切さです。彼らのように都市の生活の経験者は都市生活を知らない人たちより土地の大切さを身にしみて理解しています。このなかでなぜ銀明があそこまで土地を売らずに頑張ろうとしたのかというと、都市生活の苦しさを知っていましたし、彼の土地はひじょうに価値のあるものだったからです。ですから頑張っていこうと思ったのですが、最終的には土地を売らざるをえなくなってしまったのです。それは家を建てる資金ということでしたけど、けっしてあの土地を売ったとしてもそれであがなえるものではありませんでした。

 私自身は都会で生まれ育ったので、この土地収用という過程に関して考えることが多くありました。また仮設住宅に移ってからも比較的年配の人たちは、自分たちの元々の土地はそんなに大きなものではないのですが、ほとんど毎日のように元々の土地に帰り、野菜を栽培していました。そこから見えて来たものは土地というのは経済、財産というのではなく文化と生活の拠り所になるということです。最終的に彼らが家を建てられたのは、彼らの部落の再建にあまりに時間がかかってしまったため、「921再建基金会」が介入して来て、部落の人々の経済的な負担を減らしたからでした。

 全景のなかで性別というのは大きな障害にはなりません。それはお互いの協力や組織の協力があるからです。車の運転や撮影技術に自信がないものは、元々いる経験者が教えてくれますし、そういうバックアップがあります。特に女性だから大変ということはありません。撮影技術に関してはこのシリーズ製作において女性メンバーの撮影技術が格段に上がりました。

 タイヤル族の伝統的な竹の家を建てることになったいきさつは建治はあの地域の文化活動センターの補助を申請していて、ほんのわずかですがその補助金を受けました。彼は部落のためになにかをしたいとずっと考えていたので、実際なにをしようという時に復興の過程で、みんなの気持ちがばらばらになり対立してしまったということでそれを修復するためにも、タイヤル族の伝統的な家をみんなで建てるということを思いついたそうです。

 さらに補足ですが、地震発生後に部落の老人たちは自分たちが本来持っていたであろう生活の知恵、部族の知恵を全て投げ出してしまい自分を諦めてしまいました。家の再建も政府を当てにしていましたが、こういう家を建てるということで、たとえ貧しくても自分たちにも家が建てることができることの証明ができたのです。 

 この作品の3人のスタッフはみんな女性です。撮影は蔡静如です。『部落の声』も彼女です。私と彼女のふたりは撮影の経験はほとんどなく、ふたりの先生になってくれたのは李中旺です。編集を担当したのは林錦慧(リン・ジンホゥイ)で『生命(いのち)』の編集も担当しました。この6年は全景の若い世代がひじょうに成長した時期となりました。この921シリーズは全景の団結力が生み出した作品です。私たちが協力しあわなければこんなに長く大きな力作は撮れなかったと思います。

(2005年10月11日 山形市内映画館ミューズ2にて)

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主催◎シネマトリックス
共催◎山形国際ドキュメンタリー映画祭実行委員会、アテネ・フランセ文化センター、映画美学校、ポレポレ東中野
協力◎東京国立近代美術館フィルムセンター、大阪府立女性総合センター(ドーンセンター)、東北芸術工科大学東北文化研究センター

フィルム提供:
アテネ・フランセ文化センター、アリイケシンジゲート+大きい木、岩波映像、映画「戦後在日五○年史」製作委員会、川口肇、共同映画社、シグロ、疾走プロダクション、自由工房、白石洋子、鈴木志郎康、瀬戸口未来、高嶺剛、W-TV OFFICE、陳凱欣、朝鮮総聯映画製作所、全州国際映画祭、テレビマンユニオン、直井里予、日本映画新社、朴壽南、ビデオアートセンター東京、プラネット映画資料図書館、北星、松川八洲雄、松本俊夫、もう一度福祉を考え直す会・磯田充子、ヤェール・パリッシュ、山形ドキュメンタリーフィルムライブラリー