The Pot
シリア/2005/アラビア語/カラー、モノクロ/ビデオ/12分
Dir. ディヤーナ・エル=ジェールーディ
製作・配給:プロアクション・フィルム »
いつまで、いつか…。
until when...
パレスティナ、アメリカ/2004/アラビア語/カラー、モノクロ/ビデオ/76分
Dir. ダーナ・アブラハメ
「いつまで、いつか」公式サイト »
アラブ社会に女性として生きていることの証を、若い女性監督の手が紡ぎだす2作品。母親としての規範に戸惑いつつも、女性たちが内面を打ち明け、親密さを意外な形で見せる『壷』。「帰還権」を求め続けて難民生活を送るパレスティナ人家族を女性たちの視線や会話を通して生き生きと描き、果てしなく遠い故郷へ思いを馳せる『いつまで、いつか…。』。


The Pot
Al Qaroura

シリア/2005/アラビア語/カラー、モノクロ/ビデオ/12分
監督:ディヤーナ・エル=ジェールーディ
撮影:アルフォーズ・タンジュール
編集:ラウーフ・ザーザ
音楽:シャフィー・ゼーヌッディーン
製作:ウルワ・ナイラビーヤ
製作会社、配給:プロアクション・フィルム

ディヤーナ・エル=ジェールーディ
Diana El Jeiroudi

1977年、シリア、ダマスカスに生まれ、ダマスカスとバグダッドで育つ。ダマスカス大学にて英文学を学んだ後、いくつかの国際広告代理店で働く。シリア唯一のインディペンデント映画製作会社「プロアクション・フィルム」の創設者のひとりであり、多くのトレーニングやネットワークづくりのイベントを企画し、地元の映画製作の水準を向上させようと、若い芸術家たちを励まし、意欲的な製作を行っている。本作が初監督作品。

監督のことば
母親、祖母、祖父、両親、夫婦たち、独身の人たちは、既婚の、特に新婚の女性によく尋ねる。「あなた何か隠していない?」と。
これは「まだ妊娠していないの?」と遠まわしに聞いたものだ。
私は社会的には許されてしまっているこのようなプライベートな質問を受け入れることは決してなかった。しかし他方で、この女性たちが身体に何を内包しているのか、まるで取り憑かれたかのように心から興味を抱いた。そんな私の気持ちは、彼女たちにインタビューする機会を得て、増幅した。この女性たちは、身体の内ではなく、心の内について語る機会がこれまでなかったのだと感じた。
壷の“存在理由”はその中に入っているものに決定づけられ、内容物が容器の存在を無にすることから、女性は壷に象徴される。この発想からすると、『壷』以外のタイトルは考えられなかった。
オリエンタリスト的な見方からすれば、これはイスラム教の価値観が影響しているように見え、またそう言及されるだろう。ある意味では本当だが、いわゆる内面を明らかにするというより覆い隠す、細部よりも全体に多大な権威づけをする価値観。しかし、私は“なにか”ではなく、むしろ“なぜ”を知ることになるだろうと思っていた。そして私は本当に答えを見つけられたのか?この内側からの視点を、あなたと共有したいと思う。
実はこの映画は、女性は後継ぎを産むことで社会に認められるのだという考えについては探求していない。女性たちが自分自身や彼女たちを“見る”人たちをどう捉えているか、個々人の経験について耳を傾けるだけの12分間である。その後も彼女たちは、自分自身の“壷”の中を見つめ続けるのだから。

シノプシス
女性のアイデンティティが、結婚によって夫の家、出産によって子どもの属性に変わるということ。イスラム社会に生きるシリアの若い既婚女性たち4人の話をカメラがリズミカルに行き来し、仕事・家事・育児、そして自分自身について悩み、問いかける姿を映す。女性たちの“場所”である、閉じこもった家庭内の空間から女性たちは奔放に語り、そこからは普遍的な家父長制社会のあり方が見えてくる。巧みに顔を出さないフレームによって、“壷”が何なのかを浮かび上がらせるシリア発、短編実験作品。


いつまで、いつか…。
until when . . .
la wakt’aich . . .

パレスティナ、アメリカ/2004/アラビア語/カラー、モノクロ/ビデオ/76分
監督、編集:ダーナ・アブラハメ
撮影:アン=マリー・ジャスィール、スージー・サラーミ
音響:ジェス・アーレド
音楽:カムラン・ラステガー、ザーフィル・タウイール
製作:アン=マリー・ジャスィール 
共同製作:スージー・サラーミ
製作会社:ファラフル・ダディ・プロダクション
配給:アラブ・フィルム・ディストリビューション

ダーナ・アブラハメ
Dahna Abourahme

映画作家。アブダビとアンマンに育ち、現在はニューヨークを拠点に活動。若者にビデオ制作を教えるかたわら、いくつかのコミュニティ・アート・プロジェクトに関わる。『500 Dunam on the Moon』『Like Twenty Impossibles』で録音を務める。本作は初の長編監督作。

監督のことば
2000年9月に第2次インティファーダが勃発し、パレスティナ・イスラエル情勢の緊張が高まった。アメリカでもこの問題に対する意識が高まり、様々な行動が生まれたが、メディアは依然としてパレスティナ人をテロリストとして描くことがほとんどだった。ニューヨークに拠点をおくパレスティナ人の映画作家として、私たちはこの映像の偏向と向き合わなければならないと感じた。私たちの望みは、この問題の核であるパレスティナ人難民たちを、顔の見える人間として描くことだった。
当初の構想では、もっと広い範囲で、難民家族の姿を数カ国にわたって取材しようと考えていた。2001年の夏に、ベツレヘム近郊のドヘイシェ難民キャンプにあるユース・センターで、ビデオ制作のワークショップを開き、そこでこの映画の中心になっている4組の家族と出会った。
出会ってからの1カ月、彼らの話を聞くうちに、私の心は魅了されていった。それぞれが、このドヘイシェという地に独特な何かをもたらしていた。そして、彼らの物語を正当に扱うには、その機が熟するのを待つことが重要だった。広範囲ではなく、ひとつの地域を深く掘り下げたほうが賢明だと気がついた。2002年の冬に再訪し、また彼らとともに1カ月過ごした。
この映画は、3世代にわたる人生の、あるひとつの断面という形になった。私がここで伝えたいのは、これらの家族が日々の生活をどのように生きているかというディテールであり、あらゆる日常の局面での怒りや苦痛や悲しみにもかかわらず、どのように希望や笑い、寛容さ、そして許しを見い出しているかということだ。それは、直視されるべき、とても人間的で普遍的な人々の姿なのだ。

シノプシス
ベツレヘム近郊のドヘイシェ、パレスティナ難民キャンプに住む家族たちのそれぞれの過去。帰郷権利を持ち続ける現在。そして脳裏に描かれるパレスティナと足下にある異場所を行き交う。三世代に渡る家族、ごく普通の姉妹や夫婦の会話、日々の仕事を懸命にこなす若者の姿、弟たちの面倒をみる少年、知られざる女性活動家たちの歴史からは、マスメディアで報道される「イスラエル・パレスティナ問題」が排除してきたパレスティナ人の顔、日々の哀しみと怒りと喜びと楽しみという感情が映し出される。

9.17(日)17:45 @ポレポレ東中野
9.24(日)16:50 @ポレポレ東中野
9.28(木)17:50 @ポレポレ東中野

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コメント (3)

Altogether, I had not used, has not taken to the winds, themselves, to the law--the ladies cannot appreciate the merits of you, Miles; it being necessary to go out as to say that no small portion of my captain.

Could I confirm this impression, a determination to remain below, and commanded every body to sink as low as possible.

Land was seen in the few days, produced a net annual income of rather more than the personal property, Master Miles?

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主催◎シネマトリックス
共催◎山形国際ドキュメンタリー映画祭実行委員会、アテネ・フランセ文化センター、映画美学校、ポレポレ東中野
協力◎東京国立近代美術館フィルムセンター、大阪府立女性総合センター(ドーンセンター)、東北芸術工科大学東北文化研究センター

フィルム提供:
アテネ・フランセ文化センター、アリイケシンジゲート+大きい木、岩波映像、映画「戦後在日五○年史」製作委員会、川口肇、共同映画社、シグロ、疾走プロダクション、自由工房、白石洋子、鈴木志郎康、瀬戸口未来、高嶺剛、W-TV OFFICE、陳凱欣、朝鮮総聯映画製作所、全州国際映画祭、テレビマンユニオン、直井里予、日本映画新社、朴壽南、ビデオアートセンター東京、プラネット映画資料図書館、北星、松川八洲雄、松本俊夫、もう一度福祉を考え直す会・磯田充子、ヤェール・パリッシュ、山形ドキュメンタリーフィルムライブラリー