COLUMN リスボンのティナ、
そしてヴィタリナ

清水ユミ(ポルトガル大使館)

ティナ。ヴィタリナの射抜くような強い瞳を見て、私はティナを思い出した。リスボンに住む母の家で長年家事手伝いをしてくれているカーボ・ヴェルデの女性のことだ。

1975年に500年にわたるポルトガルの統治から独立したカーボ・ヴェルデだが、国民の暮らしは厳しく、多くが出稼ぎするために国外に出た。本国の人口が50万人程度なのに対し、国外にいるカーボ・ヴェルデ人は100万人を超すという。カーボ・ヴェルデ人であれば、家族、親戚の誰かしらが外国にいるはずだ。カーボ・ヴェルデ出身の歌手で「裸足のディーヴァ」として知られたセザリア・エヴォラの「Sodade」は、まさにこうした移民たちの郷愁を歌った名曲だ。

彼らの移民先の筆頭が、ヨーロッパへの玄関口でもあり元宗主国でもあるポルトガルだ。公用語を同じくするとはいえ、ポルトガルでの現実もまた厳しいものだった。男であれば工事現場で、女であれば清掃員や家政婦として働くしかなかった。その多くが不法滞在者であり、リスボン郊外のスラム街に住んだ。ペドロ・コスタの作品によって一躍有名になった「フォンタイーニャス」もそうしたスラム街の1つである。このスラム街に一般のポルトガル人が足を踏み入れることはほとんどない。

ティナも移民の1人だ。彼女はすべてを自分の手で切り拓いてきた。ティナの父には母のほかにも相手がおり、母に見捨てられた形でティナはその女性にほとんど育ててもらい成長した。若くして結婚するが、2人の子どもを産んでほどなくして離婚。先に移民していた父を頼って海を渡りリスボンに居を据えたのだが、ようやく落ち着いてきたころに息子たちがもうけた孫の面倒を見ることになり、結局は3人の孫を女手一つで育て上げた。カーボ・ヴェルデの男たちは野性的で魅力的だが、欲望の赴くままに恋愛を楽しみその後始末は女まかせということが多い。ティナの身近にいた男たちも例外ではなく、彼女は自分の父と息子たちの身勝手さに振り回され、苦労をさせられた。とはいえ、私はそんなティナの身の上話を聞くのが好きだった。ヨーロッパとも日本ともまったく違う価値観で営まれるアフリカの人たちの人生の物語に魅了されたのだ。

本作では、全編にわたって亡夫を悼むヴィタリナの姿を丁寧に追う。近所の男たちが昼夜を問わず訪ねてきては、彼女の作る料理を食べ、夫の話をして帰っていく。白い布に覆われたテーブル、故人の写真、花、蝋燭。家族や友人だけでなく、見知らぬ人すらも家に招き入れて食事を共にし、亡き人について語り合う。それはティナから聞いていた、カーボ・ヴェルデの悼みの儀式そのものだった。

数年前、母が事故に遭ったとき、遠方にいた私と姉に代わり、母の世話を一手に引き受けてくれたのがティナだった。ティナはたのもしい。親戚に会いに一人でパリまで旅をし、フェイスブックも使いこなす。複雑な書類も読みこんで手続きをする。母よりずっと柔軟だ。もし生まれた場所が違っていたら、賢いティナはどんな人生を送っていただろうと母は言う。

しかし、ティナとヴィタリナ、どちらにも共通する力強い眼差し、ゆるぎない慈愛、カリスマ的な存在感そして力強さ、それは、カーボ・ヴェルデで育まれたものなのだ。ティナがティナであり、ヴィタリナがヴィタリナであるのは、カーボ・ヴェルデの女性だからなのだ。

閉じる