インタビュー

[1]『ヴァンダの部屋』について

Q―どうやって、『ヴァンダの部屋』にたどり着いたのでしょう。

A―前作「骨」も終盤を迎えていたある夜、私は疲れ切って隅のほうに座っていた。するとヴァンダが来て言ったんだ。「この映画はこれだけで終わるはずがない。もっと軽くて、もっと自然なものができると思う。私のことをただ撮ればいいでしょ。どうする、続ける?」と。これは夢だった。この「ドキュメンタリー映画」を撮るのに私が用意したのは少々の「フィクション」だ。そこで、彼女とともにいるため、ブルドーザーがフォンタイーニャス一帯を取り壊しに来るのを一緒に待つために、さっそくヴァンダの部屋に行った。誰にでもこの世界に自分の場所があるだろう。ここがヴァンダの場所なんだ。ヴァンダの妹、ジタ、そして母親にとっても。そこに登場するのがパンゴ、家がない青年だ。そうやって進んでいった。つまり、この醜悪な社会では、どこか場所を、中心を得ることが大事なんだ。さもないとわれわれは内面を奪われてしまう。私が映画を撮りはじめることができたのは、ひとつの場所を得て、そこを中心としてほぼ360度ぐるりと見渡し、ほかのものや住人、友人を見ることが可能になったからだ。そしてヴァンダの部屋に町がどうやって入りこみ、出ていくかも見えてきた。私自身もパンゴやルッソ、パウロたちと外に出ることもできたし、フィルムにおさめられる何かがあると分かりはじめてもきた。あの場所についてまことしやかに流される嘘、抑圧、開発、民族大虐殺としか思えぬやり口、病気だと言いくるめる者もいるが決して病気ではないドラッグに課せられる罰…。そして人がどうやって暴力に抵抗し、感情的に武装するかが見えた。あれほどのことに耐えるには非常に強く、同時に非常に弱くなる必要がある。親密でありながら氷のように冷たくなることも。何かを見始めるにはこれだけのことを理解するのが不可欠だった。


Q―あるいは、生きた人間が織り成す壮大な色調を見る、ということでしょうか…。

A―あそこの生活はすべて交換で成り立っている。銀のスプーンや金色の小鳥など。みんな毎日それぞれの状況を見極めているんだ。私がフォンテ・ノヴァに行くなら、きみはコロンボに行く。そして夜に話し合う。私にまだドアを開いてくれるなら、私がまだ手を伸ばすことができるなら、警察にひっぱられていなければ、誰かが恐怖を感じることなく、まだわれわれを手伝ってくれようと思っているならば。映画を作るのもこれと同じようなことだ。映画といっても、いわゆる娯楽映画ではないし、女優といっても襟の開いた赤いドレスを着た女優のことではない。オスカーにも無縁だし。文字どおり居場所を見極めるためにわれわれは映画を作る。要するに、ヴァンダの言葉を借りれば、何かを愛しはじめることができるかどうかを知るためにだ。映画を撮ることと生きていくことは似たものであるべきだと思う。はっきりとした目的が必要だし、われわれは幸せであるべきで、お金というものは絶対に必要だ。かつてのように、すべての人が楽しんで見るものという点では、あらゆる映画が等しくあるべきだと思っている。


Q―あなたのこれまでの映画では常に言葉がすり抜けていくようでした。『ヴァンダの部屋』ではその問題は解決されたのですか?

A―われわれはある時には黙りこくり、またある時には饒舌になる。そういうものだ。またしてもヴァンダの言葉を借りれば、「ないときには泣くものよ」ということだ。泥酔した映画もあれば二日酔いの映画もある。「骨」では台詞は非常に少なかった。あの時には私がすべての登場人物の台詞を書かなければならなくて、しかも私は脚本を書くのが苦手だったからね。声を大にして言いたいことなどないんだ。この映画では、誰もこれっぽっちも書く必要なかったし、ありがたいことに「映画に関しての議論」なんてものはなかったんだよ!どうやったって、ヴァンダやパンゴ、そのほかのみんなの言葉のように、あれほど強烈で、あれほど公平で、あれほど美しいものを私には考え出せるはずもなかった。私は、ただ彼らに感謝し、さらに強さを増すようにすべてを編成しただけだよ。それに、カメラが回りはじめたら何が起るか誰にもわからない。何が起るか分かっていた人なんてこれまで誰もいなかったし、だからこそ映画は素晴らしいんだ。そんなことはないと言い張るのはふざけた連中で、奴等の作る映画ときたら何の役にも立たないクソばかりだ。映画とは何かなんて、わかった人は今まで一人もいないんだ。

Q―「血」以来、あなたの映画はいつも学びの過程を描いています。余分なものを削ぎ落としていくその手法は作品ごとに効果を表わしているようです。

A―パンゴの言葉を借りて答えよう。「俺に手を差し伸べてくれる人たちに近寄りすぎるのは好きじゃない。最後にはどうせ『図々しい』と言われるんだ」。私もこんな風に生きていきたいし、こんな風に私は映画を生きていくだろう。映画が私が生きていくのを助けてくれる、必要な時にはいつでもそこにいてくれると知りつつも、絶対に危険地帯には足を踏み入れない。自分が選んだ道を行けば、何かを失うことになると私は知っている。今の私の映画はぎりぎりまで肉が落ちたものになっている。しかし映画を撮ることに対する畏れを失わずにいるために勇気を持つことが必要なんだ。恥を忘れ、女性の部屋にノックもせずにいつでも入ってくることのないように。その後そのまま居着くのか、出て行くのかという羞恥心を持つこと。要求するものは最小限であること。映画が私に与えたいと思うものを受け取り、感謝はしても決してその気持ちを悪用しないこと。


Q―俳優に関してはどうでしょう。彼らにはもう場所はまったくないのですか?

A―俳優か…俳優は好きだよ。歌にあるように「俳優のために映画を作る」ことはできないがね。こんなことを言う人はたいていの場合、正反対のことをしているんだ。俳優を押さえつけ、くだらない台詞を言わせてテレビドラマにありがちな感傷の猿まねをさせている。俳優を尊敬することもなく彼らを仕事場でも人生でも貧しくさせている。私は誰かを好きなのと同じように俳優が好きなんだ。しかしフォンタイーニャスの誰もかれもを好きにはなれないのと同じように俳優なら誰でも好きというわけにはいかない。でも、『ヴァンダの部屋』にもこれまで一緒に仕事をして何かを学ばせてもらった俳優たちは出ているんだよ。彼らはみんなこの映画に出ているんだ。ペドロ・エストネス、イネス・デ・メデイロス、ルイス・ミゲル・シントラ、カント・エ・カストロ、イザベル・デ・カストロ、イザベル・ルース、みんなだよ。よく気をつけて見ていれば、画面の隅に見つかると思う。彼ら自身も自分たちがこの映画に出ているし、これからの映画にもいつも出ることになるとわかっているんだ。
(インタビュー:フランシスコ・フェレイラ/エスプレッソ紙)


[2]「小津」を忘れてはいけない

複雑さを複雑さのまま語るという点において、この映画は小津安二郎から強い影響を受けている。小津の映画ははじめはステレオタイプから入り、そこから徐々に複雑な世界を描いていく。このことは若いときに彼の作品を見てから私なりに消化されているし、私の中に残っている。そして、この小津から綿々と続く道をこれからも歩み続け、人々の役に立つ映画を撮ることが大切だと考えている。
(山形国際ドキュメンタリー映画祭2001 デイリーニュースより)

私自身はとても小津に近いと感じている。彼は何十年もストリートの小さな人々、家族を描き続けた。ひとつひとつのフィルムはそれぞれ違うものだけれど、何か同じものがそこにはあり、私たちは非常に豊かなももを見ることができる。そしてまたしてもそれはある場所に関わる事柄だ。私は自分の場所が何処かを知っている。それは映画であり、ヴァンダやその周りの人々と一緒にいることだ。だから奇妙に思えるかもしれないが、ポルトガルの映画作家より小津に親しみを感じるんだ。小津のフィルムはもっと具体的で現実的で…それは同時にセンティメンタルなものについての問題でもある。センティメンタルなことをするということは、とても小さなことに気を配り、真剣にならなければならないことだ。つまり、小津の映画のように、感情過多にならず誰かの感情を映画に収めることだ。過剰に見たものからは多くんを受け取れず、そして少なければ多くなる。私にとって、感情をとても具体的なやり方で表わす人というのは、小津やルノワールだね。ルノワールは役者をコントロールし、感情をコントロールする。そうすることで、撮影や編集の段階でより多くの感情が生まれるんだ。スクリーンで人が大袈裟に泣いたりしては感情は生まれず、小津のりんごを剥くシーンはその反対だ。私が小津により近いと思うのはそうしたことからだね。(nobody #2 Winter 2001)

場所というものを持つ映画作家がいる一方で、いろんな場所に行くことのできる映画作家もいるだろう? ヴィム・ヴェンダースのようにね。アフリカ、アメリカ、日本、そしてキューバで歌まで歌ってしまうんだものね。彼にとっては何処に行こうと関係ないが、そうではない映画作家もいる。小津なんかがそうだ。彼が日本の何処で映画を撮っていたのか知らないが、何処に行こうとも、彼は場所を持っていた。私は小津を通して日本を知り、そして実際ここにいて彼は正しかったと知ることができる。もちろん溝口を通しても日本を知っているが、彼は過去についてのフィルムを多く撮った。小津からは<この場所>というものを学んだ。映画の本質はある場所に属しているんだ。何処かに属するということは、共同体の、あるいはある人間性の一部となるということだ。小津も、フォードも、チャップリンもそうした映画作家だね。
(nobody #2 Winter 2001)

 




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