撮影現場

「捨てられた街」… フォンタイーニャス地区
ヴァンダとその家族が住む、フォンタイーニャス地区。そこには多くのアフリカ系の住民が住む、ゲットーとも言える移民街・・・。

「大航海時代」。香辛料、金、ダイヤなどを求めアジア、アフリカ、ラテンアメリカなど世界各地に貿易活動を行っていたポルトガル。
フォンタイーニャス地区には、多くのアフリカ系の人々が住む。そのアフリカにおけるポルトガル語圏の形成には、15世紀から19世紀まで続いた奴隷貿易の歴史と大きく重なっている。カボ・ベルデ、サントメ・プリンシペ、ギニア・ビサウ、アンゴラ、モザンビークなどの大西洋・インド洋に面する国々が、奴隷貿易のための植民地として、ポルトガルに収奪されることになる。その後、1970年代には、アフリカ諸国は、独立を勝ち取るが、ポルトガルによる支配の歴史は、現在に至るまで大きな禍根を残している。資源を持たないアフリカ諸国からは、多くの移民、出稼ぎ労働者を生みだす事になった。旧支配国のポルトガルも例外ではなく、カボ・ベルデ、アンゴラなどからの移民が押し寄せている。





ペドロ・コスタによると、フォンタイーニャス地区の住民の80%が、カボ・ベルデ、アンゴラ、モザンビークからの移民である。フォンタイーニャス地区はリスボンのはずれに位置しており、近くには空港があり、広大な農場の一部だと、コスタは語っている。
1994年、ペドロ・コスタは、アフリカのカボ・ベルデを舞台とした“Casa de Lava(溶岩の家)”を製作する。その撮影後、カボ・ベルデの人達から、リスボンにいる家族のためにと多くの手紙や品物を預かった。そして、それらを持って、初めてフォンタイーニャス地区を訪れることになる。ペドロ・コスタは「行き先が見えてきた時、もう映画にある家と中にいた人々を見つけた。」と語っている。それが1997年の「骨」だ。フォンタイーニャス地区を舞台に、スラム街に生きる若者たちの生を描いた作品「骨」で、ペドロ・コスタは、ヴァンダと出会う。「骨」の撮影のため7ヶ月間を、そこで過ごしたコスタは、ヴァンダとその家族を捉えるための作品を構想する。そして、『ヴァンダの部屋』が動き出す。
『ヴァンダの部屋』をご覧いただければわかるように、フォンタイーニャス地区は破壊されつつあった。それは、街全体の再開発によるものだった。『ヴァンダの部屋』の撮影後、フォンタイーニャス地区には、集合住宅が建ち、廃墟やバラック同然の家々に住んでいた住民たちは、そこに移されたようだ。しかし、コンクリートで塗り固められた密室性が増した集合住宅は、『ヴァンダの部屋』に描かれているような住民たちのコミュニケーションを遮断し、これまで以上の麻薬の汚染と生活環境の悪化を招いていると伝え聞いている。


 


[提供・配給]シネマトリックス、シネヌーヴォ
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