映画評

映画作家 ペドロ・コスタ
赤坂大輔(映画評論家)

 「ぺドロ・コスタの映画はよく見ているよ。彼は特別な才能を持つ監督だ。」(マノエル・デ・オリヴェイラ)「コスタは本当に偉大だと思う。彼の映画は美しく強力だ。」(ジャック・リヴェット)「彼の年齢でフリッツ・ラングや溝口のような画面を撮れる人は他にいない。彼の映画は室内の映画だが、光のきらめきによって戸外を発見する時、すぐに小津の映画のことを思い浮かべるんだ。」(ジャン=マリー・ストローブ)・・・現在活躍する世界最高の映画の巨匠であるだけでなく並外れた批評眼の持ち主である人々による、これほどまでの絶賛の後で、いったい何を言えばよいのか?例えばこれはドキュメンタリーなのかフィクションなのか?という誰もが抱く疑問は放棄してしまい、ただ深い闇のなかに眩い光が刺してくるこの部屋に佇むヴァンダやジータや母や、あるいは部屋を出て行こうとするパンゴを見つめて、映画の後で彼らのことを思い出してみる以外に何ができるのか?

 
ペドロ・コスタは1994年にカーボベルデ島で撮影した「溶岩の家」の製作後、住民たちから本土に移住した人々への手紙を届けるよう頼まれた。移住した人々が住むリスボンの外れにあるフォンタイーニャス地区のスラム街の人々と出会ったコスタは、この地区を舞台に劇映画『骨』を製作する。日本でも2000年のポルトガル映画祭で紹介されたこの傑作の製作中に、コスタ自身は40人以上の人々を必要とした製作システムへの不満を覚えていた。「骨」の完成後、コスタは「骨「に出演した女の子ヴァンダ・デュアルテと彼女の家族、フォンタイーニャス地区を撮影する映画の製作を決意した。それはドキュメンタリー映画でもあり劇映画でもあるような映画であり、より少人数での撮影を可能にするためにパナソニックDX100カメラ、デジタル・ビデオを使い3人で、2年間に130時間の素材が撮影され、1年間かけて編集され、35ミリにプリントされた。

 『ヴァンダの部屋』は取り壊されつつあるスラム街に住むヴァンダとその妹、母親の住む家と、近くに住んでいるが引っ越そうとしているパンゴの日常を撮影している。観客は映像の美しさ、強いコントラストで描かれた絵画のような、影のなかに差してくる光に目を奪われるだろう。ペドロ・コスタはその影の中の光を部屋の中だけでなく戸外にも求める。ペドロ・コスタのカメラはただの一度も動かされることはない。横にさえ振られることもない。だが人々はそこで束縛されず自由にふるまっているように見える。例え彼らが部屋の外に出て行ってしまったとしても、カメラは微動する気配さえなく、あらかじめここしかないと決めた場所に据えられ、空間の感覚を伝えてくる。それは天才的だ。それでいて不思議なことに、人々の生の感覚はいっそうダイレクトに伝えられてくる。ヴァンダの咳、母との怒鳴り合い、ヴァンダと妹の、パンゴと友人たちのクスリをめぐる果てしない対話・・・彼らは出口のない絶望的でどうしようもない場所にいるにもかかわらず、笑いやユーモアさえある日常を生きている。誰もが自分なりに生きている。

 日本でも上映した鮮烈な黒白の長篇第一作「血」に始まり、敬愛する巨匠ジャン=マリー・ストローブとダニエル・ユイレ夫妻のドキュメンタリー「映画作家の微笑みはどこに?」まで、ペドロ・コスタは一本ごとに冒険に乗り出し、傑作を撮ってしまう映画作家だ。『ヴァンダの部屋』はおそらく彼の最も冒険的であると同時に現代映画の最も先を行く傑作だ。そして彼の映画には被写体となる事物や空間や人々への敬意と途方もない優しさにみちている。いったいどこの女の子が自分の部屋で吐くところを映画に残すことを許すだろうか?また人々がクスリを扱うとき、そこにはスキャンダラスで思わせぶりなところはまったくない。それさえも敬意を持って、ごく日常の行為としてとらえられている。瓦礫とゴミと汚れも無為の時間さえも・・・まぎれもなく世界の一部として。

 




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